親亡き後の備えの本質をつかむための視点
「私がいなくなった後、この子の生活はどうなるんだろう。」
「一日でもいいから、この子より長く生きていたい。」
知的障害のある子を持つ親なら、一度はこの問いを抱き、こう願ったことがあるはずです。「親亡き後の備え」と聞いても、何から手をつければいいか分からず、漠然とした不安だけが残る——そういう方は少なくありません。
「親亡き後の備え」というと、子どもにお金を残すことをイメージする方が多いと思います。しかし、お金のことは親が担っている役割のほんの一部にすぎません。このことは、この記事を読み終えるころには、はっきりと分かるはずです。
この記事の目的は、親亡き後の備えの全体像を把握することです。「自分が子どものために何をしているか」を整理することで、備えの輪郭が見えてきます。
そのための考え方が、「親の役割の委譲」という視点です。まず親御さんが担っている役割を整理する——この作業が、親亡き後の備えの全体像をとらえるうえでの出発点になります。
親が担っている4つの役割
知的障害のある子の親が担う役割は、田中智子『知的障害者家族の貧困——家族に依存するケア』(法律文化社、2020年)の中で主に4つに整理されています。
介助者としての役割
子どもの生活全般にわたる、親としての中心的な役割です。一口に「介助者」といっても内容は幅広いため、イメージが湧きやすいよう5つに分けて見ていきます。
- 狭義の介助 食事・入浴・排泄などの介護、調理・洗濯・掃除などの家事援助です。ヘルパーや生活支援員が担う、いわゆる身体介護・家事援助にあたる部分です。
- 扶養 子どもの生活費を含む、経済的な支えのことです。
- 住居 子どもが暮らす場所を提供することです。
- 財産管理 預貯金や通帳などの管理、日々の収支の管理のことです。
- 代償 障害のある子が誰かに損害を与えてしまった場合に、親が代わりに責任を負うことです。
多くの親御さんがこれらを「当たり前のこと」として日々担っています。

準専門家としての役割
「準専門家」という言葉は聞き慣れないかもしれません。専門家から教わったリハビリや医療的ケアを家庭で続けることだけでなく、ABA(応用行動分析)にもとづく関わり方や、TEACCH(自閉症支援プログラム)の手法を家庭で実践することも、この役割にあたります。
本来は専門職が担う役割ですが、子どものために熱心に勉強し、家庭で担ってきた親御さんは少なくありません。先生に言われた訓練を自宅でやり続けたり、薬の管理をしたり——そういったことが「準専門家」としての役割にあたります。
この役割が親亡き後の備えとして重要なのは、親が身につけた知識や技術が制度にも書面にも残りにくいからです。こうした専門的な知識や日々の工夫は親の頭の中にあるため、親亡き後に次の担い手へ引き継ぐことが難しいという課題があります。
コーディネーターとしての役割
子どもの生活に必要な様々なサービスや情報を集め、どれを利用するかを選び、関係者と連絡を取り合う調整役です。
障害福祉サービスを探して申請する、学校・病院・役所といった関係機関との連絡調整をする——これらはすべて、コーディネーターとしての役割です。「気づいたら全部自分でやっていた」という方も多いのではないでしょうか。
代弁者としての役割
知的障害のある方は、自分の気持ちや意思を周囲に伝えることが難しいケースが多くあります。その代わりに、学校の先生やヘルパーに「たぶんこう思っているはず」と伝えたり、手続きを代わりに行ったりする——これが代弁者としての役割です。
さらに広い意味では、親の会として国や地方自治体、社会に訴え、制度や法律を変える運動も、代弁者としての役割に含まれます。
子どもの意思や普段の様子をよく知る存在として、親は日常的に代弁を担っています。ただし、親が代わりに話すことと、本人の意思を丁寧に汲み取ることは同じではありません。親亡き後の備えでは、単に代弁者を探すだけでなく、本人の意思をどう支えるかという視点も欠かせません。
障害のない子の親との違い
これらの4つの役割は、知的障害のある子の親だけが担うものではありません。障害のない子を持つ親も、同じような役割を担っています。準専門家の役割は少しピンとこないかもしれませんが、子どもの勉強を家庭で教える親を思い浮かべれば近いイメージがつかめるでしょう。
障害のない子の親との決定的な違いは、役割の「終わり方」にあります。障害のない子は成長するにつれて自分でできることが増え、親が担っていた役割は徐々に子ども自身に移っていきます。また、自分でできないことは、お金を払って他の人にやってもらうようになります。つまり、親の役割は子どもの成長とともに自然に減っていくのが通常です。
ところが、知的障害のある子の親は、ある程度軽減されることはあっても、子どもが成人した後も引き続きこれらの役割を担い続けます。これが「親亡き後」という問題が生まれる根本的な理由です。

親亡き後の備えの本質——親の役割の委譲
こうして整理すると、親は「介助者・準専門家・コーディネーター・代弁者」という4つの役割を、子どもが成人した後も長期間にわたって担い続けていることが分かります。
親が亡くなるということは、これらの役割の担い手がいなくなるということです。だからこそ、親が亡くなる前に、これらの役割を信頼できる人に引き継いでいく——この「親の役割の委譲」こそが、親亡き後の備えの本質です。

「親亡き後の備え」を漠然と考えるより、まず自分が担っているこの4つの役割を改めて整理することが、備えの全体像をつかむ出発点になります。それぞれの役割を誰に引き継ぐかは、この整理ができてから初めて考えられることです。
「親亡き後の備え」というとお金を残すことがまず頭に浮かぶかもしれません。しかし、この記事で見てきたように、親が担っている役割は介助者・準専門家・コーディネーター・代弁者と多岐にわたります。お金を残すことは、そのうちの「介助者」の役割の中の扶養の部分にあたるにすぎません。お金を残すだけでは、備えとして不十分なのです。
まずは、自分がいま担っている役割を4つの枠組みで書き出してみてください。書き出していくことで、すでに親以外の誰かに担ってもらっていることと、まだ親自身が担っている役割が何かが見えてきます。漠然とした不安が具体的な課題に変わります。そして、親がまだ担い続けている役割を誰に託せるかを検討することが、次のステップです。